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世界へ雄飛した鹿児島の先人達


カリフォルニアのワイン王となった薩摩藩士


1983年に来日したレーガン大統領が日米交流の祖としてその名を挙げたのは薩摩藩士、長澤鼎(ながさわかなえ)である。
彼はカリフォルニアにブドウ栽培とワイン醸造を持ち込み「カリフォルニアのワイン王」(The Wine King of California)としてカリフォルニア州のワイン産業の礎を築いたことで知られている。

長澤鼎(1852年-1934年)は本名を磯永彦助といい、1865年(慶応元年)薩摩藩第一次英国留学生として森有礼や五代友厚などとともに国禁を犯して英国に派遣された15人の一人で最年少の14歳の薩摩藩士であった。国禁を犯すために仮名を使用していたが、それが通称となった。


彼は廃藩置県により藩からの送金が途絶えた後英国からアメリカに渡り1871年に米国永住を宣言する。 彼はカリフォルニア州のサンタローザにワイナリーを開き、今日の「カリフォルニアワイン産業」の礎を築いた。彼は生涯独身を貫き83歳で他界、そのワイナリーは甥の伊地知共喜が継ぐが、(日本からの移民を制限するために)外国(籍)人による土地の所有の禁止と借地を制限する1913年の排日土地法により没収される。この排日土地法は増加する出稼ぎ外国人(特に日本人)への対策として、ものであった。
現在その一部はParadise Ridgeワイナリーとして承継されており、そのワイナリーでも長澤は「ファウンテングローブのワイン製造者、鹿児島の長澤鼎 サムライの人生―カリフォルニア州サンタローザ」と日本語で経歴が紹介されている。
2007年7月には長澤の功績を記念して地元サンタローザ市に「Nagasawa Community Park」が完成した。



カリフォルニア州の鹿児島県人組織である「南加鹿児島県人会」や現世代による「鹿児島ヘリテージクラブ」では、長沢鼎を移民のパイオニアとして敬愛している。 鹿児島中央駅には薩摩藩英国留学生の銅像が設置されているモニュメント「若き薩摩の群像(1982年制作)」の台座に長澤鼎を見ることができる。