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カリフォルニアのワイン王となった薩摩藩士
Kanae Nagasawa, The Wine King Of California

1983年に来日したレーガン大統領が日米交流の祖としてその名を挙げたのは誰あろう、薩摩藩士であった長澤鼎(ながさわかなえ)である。
彼は13歳の時藩命でイギリスに留学し、後にカリフォルニアに渡り「カリフォルニアのワイン王」「葡萄王」「バロン・ナガサワ」と呼ばれ、カリフォルニア州のワイン産業の礎を築いたことで知られている。

長澤 鼎(ながさわ かなえ、本名:磯永彦輔、1852年2月20日(嘉永5年生れ)は薩摩藩士。。 長澤 鼎(本名:磯永彦輔、1852年2月20日(嘉永5年生れ))は、薩摩国鹿児島城下上之園通町(現在の鹿児島県鹿児島市上之園町)にて磯永孫四郎とフミの四男として誕生する。
生家は代々天文方で、父親の磯永孫四郎は儒学者であった。当時の薩摩藩は、1863年の薩英戦争を機に海外に通じた人材養成の気運が高まっていた。
薩英戦争でイギリス軍の捕虜となった五代友厚は、翌1864年に、欧州への留学生派遣を強く推す富国強兵策「五代才助上申書」を藩に提出。 薩摩藩洋学校「開成所」教授の石河確太郎も大久保利通に開成所の優秀な学生の派遣を上申した。
この薩摩藩洋学校「開成所」は、薩英戦争後の藩の近代化政策の一環として、洋式軍制拡充の目的で1864年に創設された藩立の洋学養成機関で、語学のほか、砲術、兵法などの軍事学や天文、数学などの自然科学を中心に教えていた。

長澤 鼎は、1864年(元治元年)、薩摩藩の洋学校・開成所に入り、英語を学ぶ。1865年(慶応元年)、13歳のときに森有礼、吉田清成、五代友厚、鮫島尚信、寺島宗則らと共に薩摩藩第一次英国留学生に選抜される。
選抜された学生たちは五代ら引率者とともに、元治2年(慶応1年、1865年)1月18日に鹿児島城下を出発。
薩摩郡串木野郷羽島村(現在の鹿児島県いちき串木野市羽島)の港から船の都合により2カ月ほどの待機を経た後3月22日、トーマス・グラバーの持ち船であるオースタライエン号で密航出国した。
5月28日(旧暦)にイギリス到着後、一行19名のうち、引率係の新納久脩、寺島宗則、五代友厚と、通訳の関研蔵、年少の長沢鼎を除いた14名が、3か月の語学研修ののち、ロンドン大学のユニバーシティカレッジの法文学部聴講生として入学し、先に入学していた長州藩の留学生2名(井上勝と南貞助)とともに学んだ。
長澤は入学年齢に達していなかったため、スコットランドのアバディーンにあった貿易商トーマス・ブレーク・グラバーの実家に身を寄せ、地元のグラマー・スクールに2年間通う。
しかし藩の財政事情が悪化し多くの薩摩藩英留学生が帰国したが、長澤を含む森ら6名は、ローレンス・オリファントの招きで慶応3年(1867年)に渡米し、ニューヨーク州ブロクトンのキリスト教系新興宗教団体「新生兄弟社(Brotherhood of the New Life)」に入り、信者らと共同生活を送る。このうち何人かは同団体の思想に違和を感じてすぐ離反したが、長澤は森らとともに残り、翌1868年には森らも帰国した。

長澤は唯一人教団に残って厳しい労働と信仰生活を送りながら、1870年には9月から3か月ほどコーネル大学にも通った。
1871年にアメリカ永住を宣言。教団の経営のためにワイン醸造をニューヨークのブルックリンでジョン・ハイド博士から学び、葡萄農園を中心とする農業で財政を支えた。
1875年、教団はカリフォルニアのサンタローザにワイナリーを開いた。しかし新生社の異端思想に対し、新聞が反教団運動を行ったために、1890年代前半に教団は事実上解散した。
1900年、長澤はワイナリーを教団から買い取り、品質向上に努力し、彼のファウンテングローブ・ワイナリーをカリフォルニア州10大ワイナリーのひとつにまで育て上げた。カリフォルニア大学デービス校の教授に醸造技術を学ぶなど研究を続け、高級ワインに育て上げた上に、フランスには特約店を設け、苗木を輸入するなど、商才にも長けていた。彼のワインは米国内のワインコンクールで好成績を納め、イギリスに輸出された最初のカリフォルニアワインもナガサワ・ワインである。
生涯独身を貫き、83歳で死ぬとワイナリーは甥の伊地知共喜が継ぐ。しかし莫大な土地財産は排日土地法等のため相続できず他人の手に渡った。(写真:サンタローザ自宅での長澤鼎翁、画像クリックで拡大)

長澤の存在は一般的にはほとんど知られていなかったが、1983年に来日したレーガン大統領が日米交流の祖として長澤の名を挙げたことにより、広く認知されるようになった。
長澤のワイナリーの一部はParadise Ridgeワイナリーとして承継されていたが2017年の山火事で建物は焼失した。 しかしワイナリーでは、長澤は「ファウンテングローブのワイン製造者、鹿児島の長澤鼎 サムライの人生―カリフォルニア州サンタローザ」と日本語で経歴が紹介されている。
2007年7月には長澤の功績を記念して地元サンタローザ市に「Nagasawa Community Park」が完成した。

カリフォルニア州の鹿児島県人組織である「南加鹿児島県人会」やその後継者による「鹿児島ヘリテージクラブ」およびサンフランシスコ・シリコンバレー地域鹿児島県人会である「北加鹿児島県人会」では、長沢鼎を移民のパイオニアとして敬愛している。 鹿児島中央駅には薩摩藩英国留学生の銅像が設置されているモニュメント「若き薩摩の群像(1982年制作)」の台座に長澤鼎の若き姿を見ることができる。